皆様、こんばんは。
DOORS九州営業担当のUTOです。
日頃からブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
今回から九州各地の歴史とファッションに関する様々な情報を不定期にアップする企画、
「歴史とファッションの狭間で悶々」
を始動した次第でございます。
え、どういう事?なにそれ?意味わかめ〜!?(80‘Sのトレンドワード)
と、おっしゃられる皆様。どうぞ日頃の疲れを癒すために、一度最後までご覧になってみてください。
くだらなさすぎて、もっと疲れるかもしれません。
が、九州各地には本当にオススメしたい美味しい食材、面白いお店、愉快な人間達、溢れる雄大な自然、そして歴史ある名所などネタに尽きない素敵なところが満載なのです。
歴史に関しても、奥深い物語が現代まで脈々と語れ継がれているのです。
その様々な歴史背景にほんのりファッション的要素をプラスしたら、、、きっと楽しいですよね?
というわけで、第一回目としてフォーカスするのは、九州の中心(へそ)にあたる熊本。
そして日本有数の城の中で現在まで悠々とそびえ立つ壮麗な城郭、熊本城にスポットを当ててみましょう。
一昨年の熊本地震により多大な被害を受け、現在も修復工事が行われていますが、着々と元の姿へと変貌してきている熊本城。
400年以上前にその城を築いた、肥後熊本藩の藩主として有名な加藤清正とは、一体どんな人物だったのか。
1592年に豊臣秀吉が諸大名を鼓舞し、遠征させた朝鮮出兵の際には小西行長らと侵攻、1593年には清正公の指示により朝鮮の西生浦倭城(せいせいほわじょう)を築城したと記録にあります。
加藤清正がなぜ築城の名手となったのか。
一つには武者返しという石積みの方法を生み出したと言われており、上段になるほど急勾配になる事で、城外からの侵入者が登れないほど緻密な石の組み方を編み出したとなっています。
屈強な武士や、忍者でさえも登るのを憚れた「武者返し」。
現代の武者といえば、日本のサラリーマンの皆様。
出世を夢見て数々の困難や立ちはだかる幾重の壁。
昨今のクールビズの広がりで半袖シャツ、ノータイ姿の武者達が増えてきたものの、ほんの数年前までは真夏でも鎧を脱げませんでした。
サラリーマンという名の現代の武者達にとって、都会は戦場。東京砂漠、いや、熊本砂漠。いやいや、砂漠ないから鳥取砂丘。もう、熊本関係ない!
まさに城を攻略するために必死に登ろうとする武者であり、厳しい現実を見せつける会社や社会構図は、まさに難攻不落の熊本城。
曼陀羅にもでてきそうな数々の天守閣は会社の役員や社長になぞらえるのか、その頂きまで成り上がるには大変な苦労があるでしょう。
誰もが憧れるものの、その頂点まで登れるのはほんの一握りの人間。
ちなみに、現代のスーツを着た若き武者達が熊本城を登ろうとした時に、起こり得る事態とは、、、さあ、悶々としてきました。
~後編へ続く~
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